小夜倉庫

ごくまれに更新される

日記

人生は巡り合わせだ。

たとえば、ある作品が世に発表されたそのときが、その人の「今」であることがある。わたしはずっとこれに出会うのを待っていたのだと、まるでずっと昔から待っていたように、スポンジに水が染み込むように、受け止められる人がいる。

 

そうでないこともある。

その作品が発表されたときは、その人にとっては「今」ではなかった、なんてことも当然あるだろう。「今」は遠く過去のことかもしれないし、あるいは遥か未来かもしれない。いずれにせよ、出会うにふさわしいタイミングではない、というのは決してめずらしいことではない。

 

実際、かつて鑑賞した作品を数年経って再び観ると、当時は受け流していた様々な描写が押し寄せてくることがある。そんなとき、ああ、あのときは「今」じゃなかったんだな、と思う。

そんなタイミングは一生ないということもあるだろう。タイミングがあっても、それに気づかずに通り過ぎて、出会わないまま死んでしまうこともある。そんなものだ。

何もかも、悪いことではない。あろうはずもない。人生は巡り合わせなのだから。

 

だが、今はインターネットでいろんなものが目に入る。作品が発表されたその瞬間から、多くの人々が玉石混交の解釈を饒舌に語り出す。それはたしかに素敵なことだ。いろいろな人の考えを知って、視野が広がり、解像度が高まるのは、かけがえのない貴重な体験だ。

しかし、それはあくまでも副次的なものだ。何よりも先に作品鑑賞という体験があり、作品と自分のふたりきりの関係がいちばん大切だと、わたしは思う。そうであってほしい。

他者の弁舌に気圧されることがあっても、だからどうした、という話なのだ。自分の鑑賞体験がいちばん大切に決まっている。自分の体験を侵略できる他者の解釈は存在しない。解釈と解釈がぶつかりあうことはあっても、それは体験を脅かさない。体験は絶対に自分のものだ。

そして、鑑賞体験を持たない者が、解釈はおろか体験にまで口を挟もうなどとすることは、とても下品だと感じる。そうやってあたかも理性的な人間であるかのようにふるまおうとすることは、とてもみっともないとさえ思う。

 

物語に生かされている人と、物語に生かされたことのない人の隔たりは、たぶんとても大きい。これは誰しもがポジショントークにならざるを得ないところだが、わたしは溝を感じる。

わたしはここで物語という言葉を選んだが、これはおそらく作品という言葉を使うべきところだ。いや、わたしが物語を汲み取れないだけで、すべてのありとあらゆる作品は物語を持っているのかもしれない。持っていないのかもしれない。わからない。そういう想像力の限界は、わたしにもあるし、誰にだってあるだろう。それがないなんて言う人間のことをわたしは信用することができない。ただ、これはわたしの日記なので、物語という言葉を使うことにする。

 

物語はしばしば人生に祝福をもたらす。その祝福を受け取らない人を見たとき、わたしはとても悲しくなる。

たとえそこに祝福があっても、見えなければ、受け取る準備ができていなければ、何もないのと変わらない。たしかにこれはあなたのための祝福だと思うのに、あなたはそれを受け取ることができない。そんな光景を見るのは悲しい。

もちろんこれはわたしのわがままに過ぎない。祝福は体験だ。他者のそれに口を挟むことなどわたしにはできない。だが、それでも、悲しい。

これはわたしのための祝福ではないが、きっと誰かのための祝福なのだと思うこともある。わたしの祝福になりえなかった物語で祝福される人を眺めることもある。それはうれしい。巡り巡って、わたしの大切な人や、未来のわたしが祝福される可能性だから。

 

人生は巡り合わせだ。やはりそう思う。「今」ではなかったのかもしれないし、今後その「今」を手に入れることもないのかもしれない。祝福を受け取る準備が整う瞬間なんて、人それぞれだ。にもかかわらずそれを悲しく思うのは、やはり傲慢だ。

 

物語やキャラクターを消費することと、祝福を受け取ることは、常に矛盾するわけではない。ただ、一定の消費や解釈を度し難く思うことはある。もちろんこれはわたしのわがままだ。わたしだって一読者、一視聴者に過ぎない。当たり前だ。

だから結局、祝福を、わたしの宝物をそっと抱きしめながら、解釈の地平で語るしかない。

 

傲慢だ。わたしは祝福を受け取った。それで十分だ。それでいいはずだ。わかっている。それでも傲慢だから、どうしても思ってしまうのだ。

それはあなたのための祝福でもあった。あなたのための祝福だったんだよ。受け取ってくれなくてもいいから、そこに祝福があったことだけ、せめて知っていてほしい。そう願ってしまう。

しかしながら、わたしはわたしの宝物がいちばん大切だから、わたしの宝物を守ることが最優先だ。わたしの宝物を、この物語を、今ここにある祝福を、そんな目で見ないで、そんな態度で扱わないで、そう思うこともある。

けれどそれでも、それでも、心が凪いだ瞬間だけでも、願っていたい。つとめてやさしく、つとめて誠実に、なけなしの愛でもって。

 

「この薔薇があなたに届きますように」

 

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少女革命ウテナ』39話「いつか一緒に輝いて」