大人になったあなたに聞いてほしい『オトカドール』の話
『オトカドール』とは、個性豊かなドールたちをリズムゲームで戦わせ、相手とお揃いの服をドロップしてもらい、その服を着たドールの写真を撮ってカードとして排出するゲームです。
オトカ♥ドール
http://www.konami.jp/am/otoca/
ただの女児向けアーケードゲームと侮るなかれ、『オトカドール』は、こども向けコンテンツから卒業できない・したくない人にこそ、やってほしいゲームなのです。
『オトカドール』というアーケードゲームは、イオンモールのモーリーファンタジーなどを中心に全国に設置されています。筐体数のすくなさや、『アイカツ!』や『プリパラ』『プリキュアDCD』などと異なりアニメがあるわけではないこともあり、知らない人も多いかもしれません。ただ、Twitterなどで「CGモデルの作り込みがすごい」などと話題になることはしばしばあるので、インターネットで見かけたことがある人もいることでしょう。
1枚目:排出されるカード(モザイク部分はQRコード)(画面上部がプレイヤー名、画面下部がドール名)
2,3枚目:プレイ中
『オトカドール』の特徴のひとつは、「自分」と「ドール」が異なる名前を持つ存在であるというところにあります。
通常、この手のアーケードゲームで「なまえをおしえてね」と言われたら、自分の名前を入力し、自分の名前をしたキャラクターがダンスなりバトルなりすることになることが多いのではないでしょうか。
『オトカドール』は違います。まず、自分の名前を登録する。そして、自分の選んだプレイアブル・ドールに名前をつける。そのため、排出されるカードには「〇〇(プレイヤー名)の△△(ドール名)」とプリントされることになります。
『オトカドール』はその名にドールを冠するとおり、お人形遊びのゲームです。「わたしもこんなふうになりたい」「これがわたしのなりたいわたし」と思わせる他の女児向けコンテンツとは、その点で一線を画していると言えるでしょう。『オトカドール』の世界には、一見するとプレイヤーが存在していないのです。
『オトカドール』ではたくさんのライバル・ドールに勝負を挑むことができ、そのドールたちにはそれぞれ持ち歌があります。その歌がとにかくすごい。本当にすごい。村井聖夜とNU-KOの名曲揃いです。
『オトカドール』のコンセプト、世界観、キャラクターの個性など、様々なものを象徴する楽曲がたくさんあるのですが、ここではその話をすこしだけします。
ムービー&ミュージック|オトカ♥ドール
多数ある『オトカドール』楽曲の中でも、その世界観を最も強く象徴するのは、この『あのねアノネ♪』だろうと思います。
あのねアノネ♪
実を言うとそこには
キミにそっくりな子いたんだ
でもね少し顔は違うんだけれど
なぜだかすぐにわかった
(略)
行きたいなぁ〜もう一度あの不思議なセカイ
ゲンジツでは使えない魔法のパワー
たくさんの友だちがあの森で待ってる
きっとこれはユメじゃなくて
ココロの中にあるセカイ
にくめないライバルの女の子たち
探したいなゲンジツのどこかにきっといる
でも今はまだナイショふたりだけのヒミツ
マボロシやユメじゃないって
ねぇ!一緒にたしかめようよ
『あのねアノネ♪』(作詞・作曲:村井聖夜 歌:NU-KO)
これはなかなか衝撃的な歌詞です。
以前小耳に挟んだ話に、「仮面ライダーを演じる俳優に街中で出会うと泣き出してしまうこどもがいる」というものがあります。そのこどもにとって、仮面ライダーのいる世界は、イコール怪人のいる世界なのだと。仮面ライダーがいるということは、怪人もじき現れるはず、そして怖い思いをさせられるはず、という思考になるらしい、ということでした。
なにが言いたいかというと、こどもにとって、こども向けコンテンツで描かれる世界と現実の間に、垣根は存在していない、あったとしてもそれはたやすく越えられる高さである、ということです。
それを踏まえてこの歌詞を見ると、『オトカドール』の世界が、作中世界と現実を明確に区分していることがわかります。
ところで、先述したゲームシステムは、こどもにはすこし難しいのではないか、と思うことがしばしばあります。実際、わたしがプレイする傍らで、初期設定に躓き、同伴の保護者に設定をしてもらっているこどもを見たこともすくなくありません。
そういう光景を目にすると、『オトカドール』の対象年齢層は比較的高めに設定されているのではないか、と感じます。
そして、それだけの年齢のこどもたちは、現実には魔法のパワーがない(すくなくともそうたやすく手に入れられるものではない)ということを、とっくにわかってしまっているのかもしれません。
では、『オトカドール』の世界はいったいどういうものなのでしょうか。
それも明確に歌詞にされています。「夢ではない」「心の中にある世界」です。
『オトカドール』は、この世界に魔法なんてないんだということに気づいてしまったけれど、それでも魔法がだいすきで、周囲と同じようにこども向けコンテンツから「卒業」できなかった人々に向けるアーケードゲームなのではないでしょうか。
「プリキュアになりたい」「アイドルになりたい」などの「特別なわたしになりたい」という願望を無邪気に抱けなくなってしまったけれど、それでもかわいくてかっこいいものがだいすきな女の子たちを見つけようとしてくれるコンテンツなのです。
「まだプリキュアなんか観てるの? あんなのこどもが観るものじゃん」などとを同級生に言われ、プリキュアのことは好きなのに、観るのをやめてしまおうか悩んでいる女の子に出会ったことがあります。それはとても悲しい一方、多くのこどもたちが直面するものなのでしょう。あるいは周囲にはあんなの卒業したよと言いながら、おうちでこっそり楽しんだり。
わたしは、『オトカドール』はそういう子供たちに向けられたものなのではないか、そうあってほしいと思っています。
そして、何もそれはこどもたちに限った話ではありません。
こども向けコンテンツから卒業できない・したくない・できなかった・したくなかったみんな〜〜〜〜! 今これを読んでいるあなた!
『オトカドール』が好きな身で言うのもなんですが、『オトカドール』は先に挙げたコンテンツと比較してメジャーとは言えません。
けれどだからこそ、『オトカドール』が「風潮」となっている世代は存在していないのです。
『ふたりはプリキュア』無印放送時などは、プリキュアは女児たちの間でステータスと化していたそうです。しかし、一度風潮になってしまえば、それには「卒業」が付き纏います。幼稚園児の風潮は、小学生になれば捨てられる。小学校低学年の風潮は、中学年になれば捨てられる。そうすることで大人に近づこうとすることを、否定はできません。
もちろん、なんらかの女児向けコンテンツから「卒業」したからって、一足飛びに大人になれるわけではありません。それでも、そうやって「こどもの記号」を脱ぎ捨てることで大人に近づこうとするのは、とても自然なことなのだろうと思います。そして、『オトカドール』は、「こどもの記号」にならない「こども向けコンテンツ」なのです。
だってそれでも、いいものはいいし、かわいいものはかわいい。それに素直であることは、何も悪いことじゃない。『オトカドール』は、幼いながらにそれを感じ取っているこどもたちの、貴重な受け皿になれるコンテンツなのです。
そういう女の子は、今もわたしたちの心の中にいます。そして彼女は、かわいい顔で、かわいい服で、森の中でたくさんの友達と魔法で遊んでいるのです。
先に引用した部分には、もうひとつ面白い歌詞があります。「友達」についてです。
『オトカドール』には個性豊かなドールがたくさん存在します。このドールたちは、プレイヤーの感情移入対象になりうる存在でしょう。現実よりもかわいい顔をしていて、現実よりもかわいい服を着た「わたし」が、『オトカドール』の世界にはいます。
どんな個性の持ち主とも着飾ってバトルして友達になるこの世界は、とてもやさしいものです。それは、どんな個性の持ち主もみんな受容されているということなのです。
そしてこのドールたちは、プレイヤーの感情移入対象に留まりません。ゲームの中で出会い友達になるドールたちは、これから先の未来に現実で出会う、まだ見ぬ未来の友達でもあるのです。
自分とはまったく異なる人と出会うとき、その人とも友達になれるはずだと思っていた方が、きっと友達になりやすいものでしょう。様々な個性を持つまだ見ぬ未来の友達と、あらかじめ心の中でたくさん遊んで友達になっておくことは、とても素敵な「友達作りの練習」です。
『オトカドール』は夢まぼろしの世界ではありません。現実ではないかもしれないけれど、たしかにこの世界の中に存在するお話です。この現実にたくさんいる、たくさんのプレイヤーの、心の中に確かにある世界。その世界を豊かにしてくれて、現実を生きていく勇気と技術をくれる。『オトカドール』はそういうコンテンツなのです。
『オトカドール』には様々なステージがあり、最新(2017/1/24付)のステージAct2では衝撃的な展開がありました。それについてここで具体的にふれることはしませんが、ぜひプレイしてみてください。
また、今回はこども向けコンテンツからの「卒業」を語る上で、便宜上「現実には魔法がない」という体を取りましたが、わたしはこの世界にも魔法があればいいなと思っています。
『オトカドール』、最高のコンテンツなので、プレイしてください。よろしくお願いします。