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『魔法つかいプリキュア!』モフルンありがとうの話


この記事は『魔法つかいプリキュア!』本編および劇場版2作品のネタバレを含みません。

先日、『映画 魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン!』の円盤が発売され、久しぶりn度目の観賞をしました。泣いちゃった。やっぱりわたしはモフルンという存在がどうしようもなく好きで、ともすれば救済とすら感じているのだと思います。ここではそれについてすこし語らせてください。

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魔法つかいプリキュア!』では、朝日奈みらいと十六夜リコがプリキュアに変身するために、モフルンと手を繋ぐ必要があります。異なる世界に暮らしていたふたりが出会い、手を繋ぎ、奇跡が起こり(魔法でもぬいぐるみを喋らせることはできないとされています)、赤ちゃんの頃からみらいとずっと一緒だったぬいぐるみ・モフルンは、動いておしゃべりすることができるようになりました。

モフルンはぬいぐるみです。ぬいぐるみは、主と出会うことで目覚め、主の心を注がれて育つものだと、わたしは思っています。

モフルンの瞳には、幼き日のみらいと共に見た星空が刻まれています。モフルンは子供の頃からみらいとずっと一緒で、みらいと共にたくさんのものを見てきました。みらいがそれを大切に思うぶんだけ、モフルンもそれを大切に思っています。

みんなで決めたのは、「モフルンには毒は持たせない、皮肉は言わせない」ということ。純粋でかわいいクマちゃんです。みらいときょうだいのような関係で、言動は幼いけれど、みらいと積み重ねてきた年月だけの分別がある子です。

シリーズディレクター 三塚雅人
アニメージュ2016年6月号より)

モフルンは、幼少のみらいの良心を注がれて生まれた存在なのだと思います。モフルンの人格は、みらいが良心を抽出して投影したことによって生まれているのです。だから決して毒を吐かず、皮肉も言わない。

こどものうち、心がやわらかいうちに、きれいなものをたくさん見て、きれいな心をたくさんぬいぐるみに注いでおけば、そのぬいぐるみは、いつかきっと自分を助けてくれます。ずるくて弱い道を選びそうになったとき、なにかきれいなことを囁いて、「そうだね。やっぱりそっちの方が素敵だよね」と思わせてくれます。

それは、モフルンでなくたっていいのです。
わたしたちがこどもの頃には、当然モフルンのぬいぐるみなんてありませんでした。
魔法つかいプリキュア!』の放送が開始し、モフルンが「甘いにおいがするモフ」と口にするずっと前から、モフルンではないなにかに、みらいにとってのモフルンと同じような役割を持たせた人はきっといるでしょう。それはうさぎのぬいぐるみかもしれないし、リカちゃん人形かもしれないし、仮面ライダーの変身ベルトかもしれないし、お気に入りの毛布かもしれない。
「モフルン」とは、こどもが良心を注ぐ受け皿なのです。たとえそれが「おしゃべり変身モフルン」でなくとも、「わたしのモフルン」は世界中にたくさんいます。

魔法つかいプリキュア!』が放送された1年間、たくさんのこどもたちがモフルンを手に取り、モフルンと出会ったことでしょう。
けれど、アニメや映画で描かれたのは「みらいのモフルン」であっても、こどもたちが手にした「おしゃべり変身モフルン」は、厳密には「みらいのモフルン」ではないのではないでしょうか。
「みらいのモフルン」に注がれたのは、みらいの良心です。こどもたちは、「モフルンに良心を注ぐ」というみらいの行為を真似して、各々の良心を注ぐのではないでしょうか。「みらいとモフルン」をモデルにして、独自の「わたしとモフルン」になってゆくのです。
別になにか根拠がある話ではありません。ただ、そうだったら素敵だと思うだけです。

もちろん、それが「みらいのモフルン」であったっていい。むしろそのこともまた、ひとつの救済なのです。

「モフルン」を持たずに大人になってしまった人がいます。わたしはそのクチで、人形に宿る魂を上手に見つけることができなかったし、自分や他者の気持ちを認識するのが不得手でした。きれいなものをきれいだと感じることがよくわからなかったし、良心みたいなものもよくわからなかった。
そうしてこども時代を終えてしまった(まだ大人になったとは言い難い)わたしが「モフルン」に出会うことのかなったよろこびは、凄まじいものでした。モフルンに注がれているのはわたしのものではなくみらいの良心だけれど、モフルンがわたしの元にもやって来てくれたのです。

ありがとう、朝日奈みらいちゃん。あなたがきれいな心をたくさんモフルンに注いでくれたから、わたしも「モフルン」に出会えたよ。

一部のこどもたちにとって、きっと魔法は当たり前に存在するのでしょう。魔法は常識として認識されているからこそ、その力を遺憾なく発揮するものです。成長と共に魔法が常識でなくなったとき、魔法はたちまちその力を失います。
それは夢の終わりと呼ぶこともできるでしょう。けれど、それで終わりではありません。

ぬいぐるみはさよならを告げずに沈黙するものです。こどもがぬいぐるみとの交流に興味を喪失するときも、あるいは他者から暴力的に現実を突きつけられるときも、ぬいぐるみは、決してさよならを言いません。
そのとき、わたしたちの耳は、すこしだけチャンネルを変えます。けれど、意識さえすれば、こどもの頃のチャンネルに再び合わせることも、きっとできます。そうすれば、「モフルン」の声が聞こえる。

ところで、「覚醒」と「起床」は違います。
「覚醒」(wake up)とは目を覚ますことであり、この段階ではまだベッドから降りてはいません。頭と心だけが動いている状態です。
「起床」(get up)とは身体を起こしベッドから出て、動き出すことです。頭も心も、身体も動いています。
モフルンは、みらいと出会って目覚め、みらいとリコが出会うことで起き上がりました。たとえ動かなくなってしまっても、モフルンは決して眠りません。モフルンはいつだって、やわらかい布に包まれたうつくしい心を揺らしながら、彼女たちの、そしてわたしたちの傍にいるのです。

魔法つかいプリキュア!』劇場2作品では、「歌は魔法」「言葉は魔法」と繰り返し語られていました。思いを言葉にすることには、世界を変える力があります。信じる力こそが魔法なのです。
そして、「モフルン」はいつだって、朝日奈みらいをはじめとするわたしたちの良心の言葉を話します。それに耳を傾ければ、きっと、なにかがすこしずつ、よい方向に向かうのではないでしょうか。「モフルン」は、わたしたちがよい方向に向かうための選択を、ずっと応援してくれている気がするのです。

まったく個人的な願いなのですが、モフルンには、『魔法つかいプリキュア!』の妖精キャラクターという枠組みを超えて、こどもたちにとっての、良心の代弁者になってほしいと思ってしまいます。この先「おしゃべり変身モフルン」が入手困難になっても、ずっとずっと、「モフルン」という文脈は、こどもたちの間で流れ続けてほしいのです。

「モフルン」は、きっと、今を生きるこどもたちにも、大人になってしまった人にも、ありとあらゆる人にやさしい。そういう光景は、この世界でやさしくありたいと、わたしに思わせてくれます。

また、今回は便宜上「現実には魔法がない」という体を取りましたが、わたしはこの世界にも魔法があればいいなと思っています。

取り留めのない話になってしまったので、最後に一言、二言だけ。
ありがとう、モフルン。
みなさん『映画 魔法つかいプリキュア!奇跡の変身!キュアモフルン!』を観てください。もう円盤出てます。

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ここまで読んでくれてありがとうモフ。とってもうれしいモフ。